今や世界中のほとんどの国で飲まれているピルスナーの原型である。
ビールのスタイルはその生い立ちがはっきりとはわからないものも多いが、ボヘミアンピルスナーは誕生した瞬間がはっきりとわかっている。
ボヘミアンピルスナーの発祥の地はチェコの西部ボヘミア地方の都市ピルゼン。ボヘミア地方のピルゼンのビールだからボヘミアンピルスナーである。
ボヘミア地方はホップの名産地でありザーツホップが有名で今のピルスナーにも使われる。
ホップの名産地なのでビール造りも13世紀末頃からせっせと頑張っていた。ところがピルゼンのビール作りは全然うまくいかなかった。1830年には政府からビール廃棄命令が出るほど出来が悪かった。
1842年。ピルゼンにドイツのバイエルンから醸造士ヨセフ・グロルが招かれる。ヨセフはドイツから下面発酵(ラガー)酵母を持ち込んでいた。ピルゼンではずっと上面発酵(エール)酵母でビール造りをしていたのだが、ラガー酵母を使ってビール造りをしたところ淡く透き通った黄金色のビールが出来たのである。めっちゃ美味しかった。ドイツでラガーを造ってもこんな風にはならなかったのに。
理由は水だった。
ピルゼンの水はヨーロッパでは比較的珍しい軟水だった。ヨーロッパの他の地域は通常は硬水である。
現代ではビール作りに関わる人間には常識なのだが、ビールにとって水の性質は非常に重要で出来上がりの品質を大きく左右する。それは水のうまいまずいではなく、成分、ミネラル分の問題で、結論から言うとエールを作るためには硬水が適していて、ラガーを作るのには軟水が適しているのである。
当然当時の人々はそれは分からなかったのだが、ピルゼンでずっとビール造りがうまくいかなかったのは軟水でエールを造っていたからだったのである。
それまでの時代のビールはエールばかりだったし、ピルゼンの水が軟水であることは当時のピルゼン市民は知る由も無いが、ずーっとダメな組み合わせでビールを造っていたわけだ。
そこにやってきたドイツの醸造士のヨセフがラガー酵母を試したらバッチリハマったのだが、おそらくヨセフもそうなると予想したわけではなかっただろう。ドイツでは軟水でラガーを造る事はしていなかったはずだ。
ともかくこうして「ピルゼンの軟水」と「バイエルンのラガー酵母」が出会いを果たし、最高の組み合わせでピルスナーは誕生した。
そしてもう1つボヘミア地方には特産品があり、ガラス工芸が大得意だった。ピルスナーの今までのビールには無い透き通った美しい黄金色を目でも楽しむのにガラスのグラスは最高だった。
想像してみてほしい。今まで濃ゆくてぬるいビールを陶器のグラスで飲んでいたところに、透き通った黄金透明色のビールが透明のガラスのグラスに注がれるという革命的な出来事を。
これは売れちゃうよ。
この他にも蒸気機関や冷凍機の発明とか、怒涛の産業革命の波に乗りまくったピルスナーはまたたく間に世界に広がり、それまでのエール時代を完全にラガー時代、いや、ピルスナー時代に塗り替えた。
だいぶ長く書いてしまったけど、ピルスナーの生い立ちはこんなところです。他のビールに比べて解説がやたら詳しくなってしまった。
ピルスナーが世界の覇権を獲ったように書いたが、正確には覇権を獲ったのはジャーマンスタイルのピルスナーでボヘミアンピルスナーはその元祖といったところか。
日本のピルスナーもジャーマンピルスナーを参考にして造られた。
ボヘミアンとジャーマンの違いはモルト感の違いで、ボヘミアンのほうがモルティでジャーマンの方はホップが強く感じれて爽快感が強い。